FDTD法のエンジニアがミリ波帯の電磁界解析に思うこと

できない理由を説明するのにもエネルギーがいる

ミリ波レーダー/センサーの特性評価や、それらを設置した場合の電波環境の把握のために電磁界解析をやってみたいと考えている人は多い。しかし、ミリ波帯の電磁界解析は結構難しい(とういかできないことがほとんど)。さらに厄介なのが、なぜ難しいのかを説明して理解してもらうのに時間がかかることである。電磁波はそもそも見えないし、電磁気学に拒否反応を示す人も多い。また、こちらとしても「できない」ことを伝えるためにシミュレーションのアルゴリズムを説明するモチベーションは沸かない。

以下に、なぜ難しいのかの概要(細かい話は無しで雰囲気だけ)と、じゃあどうすればいいのかをメモとして残す。

ミリ波帯はモデルに対してメッシュが細かすぎる

FDTD法などを用いた電磁界解析では、マックスウェル方程式を解くために解析空間をメッシュ分割する必要がある。メッシュは人によってはセルとかグリッドとか呼んだりする(FDTD法だと正確にはYeeセルという直方体)。

このメッシュの1辺は、周期的に変動する電磁界を表現するために最大でも波長の1/10のサイズにする必要がある。仮に60GHz(波長5mm)のミリ波レーダーを解析しようと思ったら、メッシュは最大でも1辺が0.5mmになる。このメッシュサイズで1辺50cmの立方体空間を解析するためには、1000^3で10億のメッシュが必要になる。10億メッシュの計算を流すためには、だいたい30GB程度のメモリ量が必要(解析プログラムにもよる)。因みに、FDTD法は解析空間の中のモデル以外の領域(空気層など)もメッシュ分割する。

FDTD法では大量の並列計算を高速に解くためにGPUがほぼ必須となっているが、30GB以上のメモリ量を確保しようと思うとかなりハイスペックなマシンを導入する必要がある。因みに、現在(2022年)最もメモリ量(GPUの場合はVRAM)が多いGPUは「NVIDIA Quadro RTX 8000」や「NVIDIA RTX A6000」で、これ1枚で48GBのVRAM容量を持っている。でも60~90万円くらいする。このGPUを搭載するマシン自体もそこそこの価格になるので、コストに対して解析できる領域が狭すぎる。あと、GPUにはエラー訂正機能が付いていて、メモリの何割か(1~2割くらいか)はその機能が占有する。そのため、スペックのメモリ量をフルに使えるわけではないことに注意が必要。

また、これは個人的に気持ち悪いという話だが、モデルに対して不必要に細かすぎるメッシュを切るのがストレスになる。なぜこんなことになるのかというと、周波数は技術の進歩によって高くなる(波長は短くなる)けど、人間のサイズはずっと変わらないからだ。ミリ波レーダーを搭載するからと言って車のサイズが小さくなったりしない。ラジオ、Wi-Fi、Bluetooth、車々間通信用アンテナ、ミリ波レーダーなど、色々な周波数のデバイスが同じサイズの車に載っている。Wi-Fiくらいまでなら車一台丸ごと解析できるし、細かい部品は細かいメッシュに切ったりと工夫もできる。でもミリ波帯になると問答無用で全て細かいメッシュで切らなくてはならない。本来ボディの厚さ方向には1メッシュで十分なのに、10メッシュくらい切ることになる。これで無駄なメモリと計算時間がかかっていることを考えると、マシン的にもエンジニア的にも結構ストレスを感じる。因みに、大規模な(メッシュ数の多い)解析が得意と言われているFDTD法ですらこれなので、FEMとか他の手法ではもっと厳しいと思う。

さらに余談だが、こういう説明をするとたまに「じゃあモデルを全体的に縮小して解析すればいいんじゃない?」と本気で言ってくる人がいる(こういう人ほど純粋な目をしている)。今までの説明が全く理解できていなかったのかと膝から崩れ落ちそうになる。当たり前すぎてここに書くのもあれだが、周波数を変えずにモデルを全体的に縮小するということは、モデルの大きさを変えずに周波数だけ低く(波長を長く)しているのと全く同じ意味になる。つまり解析周波数が低周波側にシフトしただけのミリ波でも何でもない解析になる。

バイタルセンサーはさらに厳しい

ミリ波というと車のミリ波レーダーがまず思い浮かぶかもしれないが、最近ではバイタルセンシングといって人体にミリ波センサーを当てて呼吸などのバイタル信号を分析する技術も進歩している。基礎研究では信号処理的な内容が多いので電磁界解析はあまり関係ないが、センサーを設置するユーザーにとってはセンサー周辺の電波環境が知りたいところ。でもこれがFDTD法的には凄く厄介。なぜなら人体は高誘電体だから、電磁波が内部を通るときに波長短縮効果でただでさえ短い波長がさらに短くなる。つまりメッシュもさらに小さくなる。ただでさえ難しい解析がさらに難しくなってしまう。

因みに、ミリ波帯(24GHzの準ミリ波帯も含めて)の人体での反射(電磁波散乱波)は、皮膚からの反射のみを考えればよい。なぜなら、皮膚を透過した電磁波の成分は、皮膚内部や脂肪、筋肉などの生体組織による電波減衰が大きく、結局全体の反射波としては皮膚表面からの反射波が支配的になるからだ。しかし、皮膚の比誘電率は79GHzでも6くらいあるので、皮膚だけを考えるにしてもFDTD法でメッシュが細かくなりすぎることには変わりはない。

レーダー単体なら問題ない?

解析空間が波長に対して大きすぎることが問題なのであれば、狭い空間の解析(例えばレーダー単体の設計)なら問題ないのかというと、これはこれで問題大有り。まず、レーダー設計のための解析となると結果の定量的な評価が必要なことが多いが、FDTD法(などの電磁界解析)で定量的に評価できるほど精度の高い解析をしようと思ったら現実のモデルをほぼそのまま再現する必要が出てくる。形状だけならCADデータを使えば問題ないかもしれないが、電磁界解析では電気特性(導電率とか誘電率)もモデルに組み込まないといけない。ここまで読んだら気付くと思うが、じゃあそのレーダーに使っている材質全ての電気特性ってわかりますか?という話。しかも、解析周波数での値じゃないと意味がない。60GHzとか77GHzの物性値なんて、そもそも部品メーカーが測定していないことも多い。つまり、定量評価するための電磁界解析モデルを構築する情報がそもそも揃っていない事がほとんど。

また、仮にそれらが全て揃っていて完璧(と思える)解析モデルを作って電磁界解析したとしても、実測値と解析結果がドンピシャで合うことはまずない。なぜなら、実測環境を完全にモデルに落とし込むことができないから。電磁界解析はレーダー単体が空中に浮いている状態を仮定して解析することが多いが、実際はそうじゃない。何か台座に載せるはずだ。では、その台座の物性値はいくらですか?実測した電波暗室の吸収量は完璧ですか?アレイアンテナの場合、各素子の位相のキャリブレーションはちゃんとできてますか?考えることが多すぎる。どこかで妥協してある程度の定量評価で良いとするか、精度を追い込むのは諦めて定性評価として傾向を把握することを目的とするか、こういうことを考え出すと技術云々の話ではなくなりチームの意思決定の問題となる。しかし、ここまで技術的なことを理解してくれるマネージャなどそうそう居ない、これもまた別の問題。

結局どうすればいい?

諦めるか、狭い解析空間で定性評価するしかないのかというとそうでもない。電磁界解析ではなく、レイトレース法を使う手がある。こっちはメッシュの概念が無いので解析空間の大きさに制限が無い。ただ、レイトレース法はマックスウェル方程式を解いていないので、精度は全く期待しない方が良い。受信電力で10dB~20dB以上差が出て当然という手法である。全体の電波環境の傾向が何となくつかめれば良いという気持ちを持っていないと門前払いされる。最近では物理工学近似と組み合わせてある程度精度も確保した例もあるようだけど、レイトレースをベースにしている限り精度的な上限は知れてるだろうなという印象。でも、ミリ波帯の解析ができるということ自体がそもそも結構凄いと言えば凄い。あと、ミリ波帯のRCS解析とかなら意外とレイトレースでもいい線いけるんじゃないかと思っている(これについては他の記事で書くかもしれない)。

これからの技術の進歩(特にGPU)に期待。

レイトレース法については以下にも少し書いている。