経済格差があることではなく、貧困層が増えることが問題

  • 経済格差に限らず差があることは自然なこと。しかし、それが社会的に正しいかどうかは別問題。
  • 問題なのは貧困層の増加。これは新しい産業の芽を潰していることになり経済的に大きな損失である。
  • 経済格差自体は悪ではないが、それを助長すべきではない。
格差がある事は自然だが、それが社会的に正しいかは別問題

基本に立ち返り、問題を0から考える。格差社会が叫ばれる現代で格差(特に経済格差)が存在する事はそもそも悪なのかどうか。(ここでは、経済格差として所得の格差を考える)

格差社会のように「格差」というとマイナスなイメージがあるが、経済的な差(所得の差)が生まれることは自然なことである。全く同じ人間はいないので仕事の成果に差が出るのは当然であり、その結果所得に差が生まれるのは通常受け入れられる(プロ野球選手が成績によって年俸に差があるようなもの)。

上記は少し説明下手だが、頑張って成果を出した人が高い報酬を貰うべきという精神論が言いたいわけではなく、制約のない環境下で人間が普通に活動していれば自然に差というものは生まれる、ということが言いたい。

逆に、すべてを同じ(平等といってもいいが)にしようと思うと、どうしても人の手を加える必要があるためこちらの方が不自然といっていい。しかし、自然なことだから現代の人間社会においても正しく、不自然だから間違っているということではない。ここは別の議論があるべき。最後に述べているが、経済格差自体は問題ないがそれを助長するべきではないという結論。

問題なのは、経済格差の拡大による貧困層の増加

ここでの貧困とは、相対的貧困(日本の場合年収が125万円以下くらいが該当するらしいが、この記事ではそこまで厳密に線引きせずに200万円以下くらいのイメージで書いている)を言う。

このような状態では、何とか生活していくので精いっぱいであることは想像に難くない。つまり、生活に余裕がない(経済的にはもちろんだが精神的にも)状況である。例えば、結婚して子供を育てることが経済的にできない(気持ち的にはしたくても)ため、これを諦めている人は多いと聞く。

ここで最も問題だと思うのは、貧困層の人が(経済的にも精神的にも)余裕がない状態になっていることである。この状態では、何か製品を作ってみようとか音楽を作曲してみよう、小説を書いてみよう、良いサービスを思いついたから起業してみよう、などのように世の中に何かを生み出そうという発想にならない。こういった意欲は人生に余裕がなければ出てこない(富裕層は理解できないかもしれないが)。実際、貧困層の知り合いがいる人は彼らがこのようなマインドなのを実感していると思う(もちろん例外はいる)。もし彼らにこういった余裕があれば、社会を発展させるためのより良い産業が日本に生み出される可能性が生まれる。貧困層の増加は、このような潜在的な価値を潰していることになるので、経済的にみてもマイナスである。

さらに言うと、仮に超富裕層の報酬(のほんの一部で良い)を1000人の貧困層の所得に回して彼らの経済的、精神的余裕を確保した世界を考える(ただの思考実験なので実現可能性は置いておく)。この結果として、彼ら1000人に何か新しい価値を生み出す可能性が生まれるのだとすれば、それは間違いなく世の中にとって喜ばしいことである。超富裕層といっても1人の人間であるため、1日に自由に使える時間は24時間が限界である。しかし、1000人の余裕を生み出したのだとしたら、それがたとえ1人につき1日に1時間程度のものであったとしても、1日に1000時間分の人間の時間(自由な発想をする余裕のある時間)を生み出していることになる。この時間によって生み出される価値は大きく、新たな産業が生まれる可能性という意味でも十分な時間だろう。これはただの思考実験なので考えが及んでいない問題も多いと思うが、貧困層を減らすことによる副次的な(それもとてつもなく大きな)効果のイメージを書き残すことはできたと思う。

もちろん言わずもがな、結婚して子供を授かろうという意欲も失われているので、生まれるべきだった命がその誕生の機会を失ってしまうという大問題も起きてしまっている(こちらの方が経済的には大きなマイナスかもしれないが、命の問題なのでそういう計算はここでは考えないでおく)。

経済格差は悪ではないが、助長すべきでもない

経済格差が生まれること自体は自然なことであり貧困化こそが問題だとするならば、貧困層が少ない状態で存在している経済格差は問題ないといえるだろう(もちろん悪でもない)。

もっと稼ぎたい人は稼ぐために頑張る。これで十分と思う人はそのままでも良い。これは、経済格差があるけど問題(貧困層の増加)はない状態。あくまで、経済格差自体は悪ではなく、貧困層が多いことが問題であるから。

一方で、経済格差は悪ではないが、助長すべきでもない。

経済格差が広がり少数に資産が集中すると、世の中の企業が統合する流れを作ってしまう。これは、資金力のある大企業(米国のGAFAが良い例)が技術的に優れている中小企業を買収していくような身近で起こっている話。これにより、世の中に存在する企業の多様性が失われる。多様性の欠如は、環境の変化に対しての脆さとなる。株式投資をする際に、1つの銘柄に資金を集中させずに複数の銘柄に分散投資してリスクヘッジするのと同じだ。

経済格差に関しては、累進課税によってある程度是正できそう。ただし、税金は国の経済状況(貨幣供給量、インフレ率など)によって調整すべきものであるため、経済格差だけを見て決めるのも問題。ただ、超富裕層(特に、資産が1000億以上あるような人)は必然的に政治(家)とのつながりも強くなる。そのため、富裕層に有利な政策が実行されやすいという実態もあるだろう。

つまり、経済格差は悪ではないが助長すべきものでもない。しかし、助長されやすい構造に(政治的に)なっている。